鶴見大学歯学部口腔細菌学教授 前田 伸子 さん をお招きしての第1回前編です


ロズリン: 前田先生は、口腔内の細菌学がご専門ですね。
歯の健康への意識が高くなっているこれからは、ますます
期待される分野です。この分野に進まれたのはなぜですか

前田: 一番よくある質問です。 私は臨床も考えましたが、
大学3年生のとき、細菌学に出会って、面白いと思ったのが
最初です。  口の中には、なぜこんなにたくさんの菌がいる
のか、という興味からです。
現在、培養できる菌だけでも約700種、それ以外のものを合
わせると2?3000種とされています。
歯垢1mg中にはおよそ1億個の菌がいますが、これらは助け
合ったり、排除し合ったりして、一種の社会を構成しているんです。 これって人間
の社会と全く同じイメージですよね

ロズリン: 非常に面白いですね

前田: これらの菌たちの存在にはきっと意味があるんだ、意味があってこうしてる
んだ、と考えまして。基本的に、菌そのものに善し悪しはないんですよ。
私たちの環境や食生活の変化、免疫力の低下などでバランスがくずれると、良く
ない影響が出るというだけのこと。
まるで、社会が崩れていくような感じに、どんどん悪化するわけです。 ところが、
生活態度がきちんとできていれば、口の中の状態は良好に保たれる。この関係性
を明らかにできるといいな、と、漠然とではありますが思ったのが、21歳のときです

ロズリン:ご自身では、どれだけ目標に近づけたと?

前田: いわゆる“善い菌”というのは、現在でもまだ特定できていません。
“悪い菌”のほうは、だいぶ分かってきていまして、その一部については、遺伝
子のレベルまで解明されています。でも、定年までに私自身が、現役としてあと
どのくらいがんばれるかというと、これは難しいですよ

ロズリン: どういう菌が“悪い菌”ですか

前田: それは、「感染しやすい、弱った人の口の中ではびこるもの」ということ
です。例えば私たちの研究で一つ分かったのは、カンジダという真菌。これは誰
の体にもいる常在微生物の一つで、健康な人なら何ら問題のないものです。
でも、病気や高齢などで身体が弱って抵抗力が低下するほど増えていって、最悪
の場合は致命的な状態を引き起こしてしまいます。高齢者が増えていく今後は、
ますます口腔ケアへの認識を高めることが必要になると思います。特に要介護施
設などでは、どれだけQOL(生活の質)を向上させられるかは、口腔ケアにかかっ
ていて、実際に要介護の方の施設においても、口腔ケアを重視しているところで
は発熱率も低く、肺炎になる方もすくなくなるなど、はっきりと差が出ています

ロズリン: 若い人でも、歯周病などのトラブルが増えていますが

前田: 例えば、腸内細菌のバランスなら、免疫機能が
落ちない限り、それほど大きく崩れることはありません。
ところが口の中は、不規則な生活や飲食の内容などの
ちょっとしたことで極端に変化しやすい環境ですので、
口腔細菌のバランスも崩れやすい傾向があります

ロズリン: 歯周病が他の疾病の引き金になる、と言わ
れていますが、実際はどうなのでしょう

前田: 体のどこかに慢性の感染症があると全身状態が
悪くなることが知られています。
歯周病は中高年以降の方の慢性感染症として最も多いも
のですが、昔から糖尿病のように歯周病との因果関係が
報告されているものだけでなく、歯周病が脳血管障害や
早産/低体重児出産の引き金になることが分かってきました。
ただ、早産/低体重児出産に関しては歯周病に罹患している女性では早産/低体重
児出産の発生する確率が約3倍ほど高いという疫学的データはありますが、どう関係し
ているかの具体的な根拠はまだ見つかっていません。
いずれにしても、歯周病は慢性なので緊急性は少ないけれど、治療もせず放っておいて
はいけないということですね

ロズリン: 菌って、目に見えない敵だけに、怖い存在ですね

前田: いえ、“敵”ではなくて、みんなそれぞれに役割があるはずです。地球上に初めて
現われたのが細菌たちだから、何とか上手くつき合っていかないと。
細菌は他の生物と関わりを持とうと進化してきたし、口腔に住む細菌たちはむしろ私たち
から住まいと栄養をもらっているお返しとして、何がしらかの恩恵を与えてくれている味方と
考えるべきです。
問題は、ストレスや偏った食事などが原因で、常在菌のバランスが崩れたとき。“常に味方”
ではない、ということを理解して、折り合いをつけるように共生していくべきでしょう。
ちょうど「地球環境を壊すな」という、エコロジーの仕組みと同じ。細菌たちにすれば、自分た
ちの快適な生活環境を自らで壊すことはしないと思います

ロズリン: そうすると「病原菌」とは

前田: 病原菌は、本来はヒトを棲みか(宿主)にはしないものです。例えばコレラ菌は、
もともとは魚の常在菌なので魚には病気を起こさない。
それが、ヒトに感染せざるを得ない状況になったとき 彼らにとって良い環境でないがため
にヒトに対して悪い影響すなわち病気を起こすんです。
もともとエイズウイルスもアフリカミドリ猿からヒトに感染したため、最初はヒトに対する病原
性が非常に強かったので、ヒトへの感染が確認された80年代はエイズをすぐに発症して、
助けることもできずに死ぬヒトが多かったのですが、やがてヒトに対する病原性はやや弱ま
り、薬の開発と相まって、そこそこに共生していく関係ができつつあります。
ヒトのゲノム解析の中では、寄生したウイルスだったのではないかと思われる遺伝子が、
たくさん発見されています。
細菌が由来とされている、ミトコンドリア(我々の細胞内でエネルギーを産生する微細器官)
の進化と同じように、HIVももしかしたら、将来はヒトの一部になるのかも知れません。

さて、前田先生への興味深いインタビューは、まだまだ続きます。 
この続きはまた次回!