今回のインタビューは、
  美術解剖学の第一人者
  東京藝術大学  大学院美術教育(美術解剖学II)
  
  助教 医学博士

  宮永 美知代 さん に お話を伺いました。



見た目の“老化”を決めているのは何か、ご存知ですか?

肌のシミ? シワ? …  いえいえ、実は歯やあごの骨など骨格の
加齢変化が、老けた印象を作り出す最大の要因だったのです!

一般には耳慣れない 「 美術解剖学 」 とは、骨格などの内部構造
の学びを基礎に、人のかたちがもっている意味を解き明かすにとど
まらず、“ 美 ” の謎にも迫る学問です。



“美術解剖学”は創造の出発点
 
 
人は見たいものしか、見ていない
 
ロズリン:美術と解剖学とのつながりは?  実は不思議に思います。
 
宮永:私たちは目に見える全てを見ていると思っていますが、実は
    自分が見たいものしか見ていません。

    私たちが能動的、意識的に見ていることの気づきに加えて、見る
    ことを深めるのには、描きとめることが大事です。
    
    “ 見て描く ” デッサンが美術の基礎となっているのは、その人の
    発展的な創作や思考を支える根本だからなのです。

    デッサンすることは芸術上のアイデアはもちろん、あらゆる造形
    活動の出発点になるものです。
    美術解剖学も、内部構造を意識して見て描く、表現することから
    始まります。



ロズリン:この分野に携わることになったきっかけは。

宮永:美術解剖学と出会ったのは、美大在学中のことでした。

    そのとき、とても大事なことに思えたので、大学院から本格的に
    勉強を始めました。
    院生の時代には、獣医大学にもお邪魔させていただき、学生と
    一緒にウマやウシの解剖を見学するところからのスタートでした。

ロズリン:私も獣医学を修めましたから、いろいろな動物の解剖を
      経験しました。

      病理学が専門だったので、大動物から、イヌ、ネコなどの小動物
      まで、非常に多くのことを学ばせてもらったと思います。

 
 宮永:哺乳類ならば、筋肉や骨格の多様
     な差異を超えても、基本的な構造が
     みな同じであることが、解剖を通して
     よく理解できますよね。

     私もそこに大変興味を持ったわけで、
     博士課程の途中から東大理学部
     人類学教室の研究生となり、やがて
     人体解剖実習にも参加するように
     なりました。

ロズリン:人体を詳しく見ていくと、どんなことが分かりますか。
 
宮永:例えば人類学的には人類の起源とか、日本人はどこから来た
    のかとか …。

    東大が所有する解剖学の貴重なコレクションを見る機会があり
    ましたが、日本人の頭蓋 ( とうがい ) であっても、縄文や弥生
    の人々の特徴を調べていくと、現代の “ 私 ” につながる要素、
    あるいはそれぞれの時代の個性、違いが見えたりして興味深い
    ものです。

    皮膚一枚にしても、厚さや下層との結合の硬さが部位ごとに違う
    のには、それなりに理由や意味があるのだと分かると面白くて、
    感動の日々でした。

  ロズリン:私の研究では顕微鏡を覗く
       ことが多かったんですが、
       胃の粘膜や腸の絨毛がまるで
       風景画のようで、実に美しいん
       ですよ。
 
       今でも夕焼けの田園風景を見る
       と、それらの顕微写真を思い出
       します(笑)。


宮永:
確かに、ミクロの世界にも驚くような美しさがありますよね。

    腸の絨毛 ( じゅうもう ) など、倍率を上げても、なんだかまた同じ
    ような構造が見えたり、まるでフラクタルで、神秘的に感じました。
 
ロズリン:ところで、初めて解剖を見たときのことは覚えていますか?

宮永:ここ藝大での授業で、ウサギの解剖が最初でした。

    死後間もないものだったので、内臓がとても色鮮やかでした。
    
    肝臓は赤、胆嚢は緑、肺はピンク。
    皮膚の下にあるものが、なぜにこのように色彩豊か?
    と思いましたが、命が失われ、たちまちすべてが灰色へと変化して
    ゆきました。
    動物も、骨や筋など構造が人と相同であるということを目の当たり
    にし、進化の連続性のなかに自らを置いて理解することができま
    した。
    解剖学からの気づきには、目を開かされ、こころから感動したもの
    です。




身体を学ぶことで見えてくるもの
 
ロズリン:芸術と、解剖学の関係はいつごろから始まるのですか。
 
宮永: 20世紀の初頭までの長い間、ヨーロッパ美術で隆盛をきわめた
    美術解剖学ですが、起源はルネサンス時代です。

    レオナルド・ダ・ヴィンチの研究が有名ですね。

    ようするに内部構造を理解することで、外側に見えるのかたちの
    意味もよりよく理解できるという考えです。

    ルネサンス以後、美術解剖学は画家や彫刻家にとって必須の学問
    となりました。

    写実表現が全盛だった19世紀には、美術学校では、美術解剖学
    最重要視されていましたが、すでにその時代に 「 高尚な、お堅い 」
    アカデミック・アートともなり、やがて写実のための用に過ぎないと、
    行き詰まりを見せます。

    印象派から現代アートへと、美術の概念が自由で多様化するに
    つれて、写実的なだけの表現は時代遅れだ、という意識が台頭し、
    近代の欧米の美術大学では履修科目から美術解剖学は外される
    ことになってしまったんです。



ロズリン:日本においても同じことが?
 
宮永:幸い日本の美術解剖学は独自の発展をしていました。

    単に写実の用のためだけではなく、人体美を考察することや、比較
    解剖学的にかたちの由来や意味を考えるかたち学として発展を遂げ
    ていました。

    狭くとらえていると同様な状況となったでしょうが、東京藝大では、
    このような逆風の時代にも優れた指導者たちがいた美術解剖学は、
    人気の科目であり続けたのです。

    日本における美術解剖学の祖は、小説家として有名な森 鷗外です。
    ドイツで医学を学び、当時の美術解剖学書を日本へ持ち帰りました。

    さらに彼は東京美術学校 ( 東京藝術大学の前身 ) 校長だった
    岡倉天心の依頼を受け、明治22年にこの新奇の学を講義しました。
 
ロズリン:日本では、美術解剖学はどの程度受け入れられましたか。


 宮永:当初から美術表現について、写実の
    ためというより、むしろ表現としてのデ
    フォルメの方法のため、といった広い
    解釈があったようです。

    しかし、戦後のアブストラクト(抽象画)
    全盛の時代には、欧米の影響を受け
    公然と “ 美術解剖学不要論 ” が起こ
    りました。

   しかし、鷗外以来、かたちの学としての志をもった先達は、 “ 人体の美 ” 
   を追究する 「 人体美学 」 を創始したり、比較解剖学の視点から新しい
   表現のツールとして、かたちの意味を考える美術解剖学を提唱したのです。

   私の師である中尾喜保先生も、美術解剖学を 「 身体の学びであると同時
   に、形の見方の多様性を究める学問 」 と明確に定義しています。

   そして今日、美術解剖学会では、美術と解剖学にのみとどまらない様々
   な分野の人々が人体を中心としたかたちの問題に関心を持って集まり、
   研究成果を発表し、シンポジウムを行うなどの活動を続けています。
 










美術解剖学会 
学会誌


ロズリン:現在、美術大学では必修科目ですか?

宮永:今は表現のスタイルも様々なので彫刻専攻以外は選択科目ですが、
    人気は高いですよ。

    私が非常勤で教えている女子美大でも300人以上が履修しています。

ロズリン:授業の一環として、解剖の見学もあるのですか。

宮永:学期の最後に実施しています。

    解剖見学は、人体を立体的に深く理解すること以上に、ご遺体が
    師となって教わる学びの機会であります。

    年間を通しての学びを、実感として捉えなおすとともに、命とはなにか、
    死とは何か、深い思索に学生たちを誘うこととなります。

    美術解剖学の学びを通して、芸術作品を見るときに、骨格や筋など
    から、作家自身が何をどう表現したかったのかを読み解くことができ
    ます。

    例えば、ミケランジェロは、男性モデルを使って女性を描いたことは
    以外に知られていません。
    彼はデッサンから作品にする際に、何を表現して、何を表現しなかっ
    たのか。
    
    そうした作家の思索の痕跡に触れることができるんです。

 
                           ドイツの美術解剖学者との交流
                           から生まれた針金モデル。
                           日本人がつくると日本人的な
                           プロポーションに。


インタビューは後編へと続きます。
お楽しみに♪


<宮永美知代さん プロフィール>

 兵庫県神戸市生まれ。
 東京芸術大学大学院美術教育(美術解剖学II)助教。
 美術解剖学会、日本顔学会理事。

 女子美術大学芸術学部(日本画専攻)卒業後、東京芸術大学
 大学院美術研究科(美術解剖学専攻)修了。

 その後、東京大学理学部人類学教室研究生を経て、現職。

 医学博士。