美術解剖学の第一人者
 東京藝術大学 大学院美術教育(美術解剖学II)
 
 助教 医学博士

 宮永  美知代 さん をお招きしての 後編 です。



歯やあごの骨の加齢変化が、老けた印象を作り出す最大の要因だった!
美術解剖学 」 は、骨格などの身体の内のかたちと構造を基礎に、
人のかたちがもっている意味を解き明かすにとどまらず、 “ 美 ”の謎 にも
迫る学問です。



頭の骨から分かる、社会と文化
 
ロズリン:宮永先生は、古い人骨の詳しい分析もなさっていますね。

宮永:ヒトの頭蓋は、年齢や性別、生活環境などの要因によって、多様な
    バリエーションがある部分です。

    なぜそうなのか、という理由づけがある程度可能ですが、それが
    できなくても、差異があること自体が非常に面白いんです。



ロズリン:博士号はどの分野で?
 
宮永:法医解剖学分野です。
    博士論文の主論は、女性の頭・顔面部の生体計測による特性の
    統計学的分析。これは100人以上の若い人の顔を対象にしました。

    副論は、シリアのデデリエ洞窟から出土した2歳と推定されたデデリエ
    ( Dederiyeh ) ・ネアンデルタール人の骨格からの筋復元と生体復元に
    ついて、でした。

   その仕事は大変おもしろかったです。
   大きな頭をしていて、私たちの子供の2歳とそれほど大きくは違わない
   のです。

 
                      先生の論文が掲載された学術誌

  ネアンデルタールは20万年から2万年前に生きていた、最近のDNA鑑定
  では、我々の祖先ホモ・サピエンスとは異なる系譜と考えられるようになった
  人類です。

  私たちの復元したデデリエは子供で乳歯が生えていましたが、一般的に
  古人骨は歯並びがよく、虫歯がないものです。

  しかし、なかにはほぼ全ての歯がむし歯を罹っているネアンデルタール人の
  頭蓋もあったんですよ!

  ラ・シャペル・オ・サン La Chapelle-aux-Saints というフランスの洞窟から
  出たネアンデルタールです。



ロズリン:そんなに古くからむし歯? 驚きました!

宮永:歯槽までも溶けるほどのひどい状態で、しかもすべての歯で、さぞ痛くて
    辛かったろうと思うんです。

    虫歯を抜けば痛みは治まるということを知らなかったんですね、気の毒に。
    歯医者さんが見たら、涙されるのじゃないかしら。
 
ロズリン:むし歯は細菌感染から始まりますが、糖や糖となるものが存在しない
      と発生しないと言われますが、そうしたものを摂っていたということで
      しょうか。 とにかく珍しいものです。

 
 
 宮永:ネアンデルタール人に関してはまだよく分かって
     いないことが多いのですが、このような状態で
     苦しんでいた人が生き延びられる。

     つまり、ケアする社会であったのではないか、
     ということも読み取れます。




身体意識を読み解く楽しみ
 
ロズリン:美術のほうは、元来日本画がご専攻ですね。
 
宮永:はい。  日本画の岩絵の具を、膠 ( にかわ ) と水で溶いて麻紙に定着
    させゆくと、絵の具の性質上、さらさらと流れ、画面が自然にフラットにな
    ります。

    実は、入試のためのトレーニングでは、さんざんヨーロッパ的な光と影
    のなかでオブジェをとらえるデッサン技法や見方を身につけたのに、
    日本画ではいきなり陰影が表現できなくなってしまって、大いにとまどい
    ました。
 
ロズリン:日本では、着物などを考えると、“ 身体は隠すもの ” という意識が
      強いように思います。



宮永:そうした伝統的な美意識は、胴長で短足な日本人の身体に合う和服の
    文化に育まれたのでしょう。

    そして身体観も“見せる”という方向には向かわなかった。
    西洋的な美意識や価値観が入ってきたのは明治以降ですから。

    今の日本人の意識は、明治以降の西洋文化の洗礼を受け、東西文化が
    ほどよくミックスされて出来上がったものと言えます。
 
ロズリン:西洋では古くからヌードが絵画や彫刻で表現されるのに、東洋の仏像
      は衣で覆う形で身体を表現します。

      双方の身体意識の違いをよく表わしていますね。
 
宮永:そうですね。 仏像のなかには、衣の襞が仏の身体に沿うように表現されて
    いるものも多くありますね。

    実は西洋でも文化によって身体観はずいぶん異なります。 古代ギリシャ
    やローマでは、身体表現が自由でオープンで、裸体に対する考え方が、
    その後のヨーロッパとは全く違うんです。
 
ロズリン:そうした感覚が、解剖学発祥の素地になったとも言えないでしょうか。

 宮永:はい。ヨーロッパは本当に分析的ですしね。
     もっとも、キリスト教の戒律が厳しい中世の
     頃には、身体は隠蔽すべきとされました。

     しかし、ルネサンスになると古代ギリシアの、
     自然な裸体への写実的なアプローチが復活
     します。

     しかし今度はもはや、誰も裸体のモデルに
     なってくれない、では人体を深く知るために
     解剖を…  という流れができたわけです。


ロズリン:
日本の浮世絵は、エロチックでありつつも、様式的で全く異質な
      表現です。
 
宮永:そうですね。
    浮世絵に描かれた女性の乳房は必ず、車のヘッドライトのように真正面を
    向いていますね。 あり得ないことなのに ( 笑 ) 。

    観察的、分析的な解剖学的な視点から見ると、自身がもつ文化の特性が
    逆に分かってきて、とても面白いんですよね。


 
 口もとの若さをキープしよう
 
 ロズリン:せっかくですから、口もとについても
       伺います。
      
       噛み合わせや形など、お気づきになる
       ことは?


宮永:ヒトを他の動物とプロファイル ( 横顔 ) で比較すると、動物では顎(がく)
    が圧倒的に大きく突出しています。

    一方、ヒトでは顎が後退し、脳を納める脳頭蓋 ( のうとうがい ) が丸く大きく
    発達します。

    日本人では、縄文人、弥生人では鉗子咬合といって、上下の歯が同じ位置
    にある ( 鉗子状に咬み合う ) のですが、現代人では離開咬合になるほど
    下顎が後退して、上下の歯の間に空間ができています。現在では若い人
    ほど顎 ( あご ) が小さく、小顔になっているようです。
 
ロズリン:歯並びについては、日本でもかなり意識が高くなってきましたが、あごの
      骨格と美しさはどの程度関連があるのでしょうか。
 
宮永:歯列の美しさは重要です。

    さらに、成人以降の顎骨の変化、老化によって歯を失うことは、決定的に容貌
    の審美性と関係します。 顎に高さがなくなることで老化は顕著になります。

    若々しく見えるか、老けて見えるかの決め手は、皺などよりむしろ骨格の変化
    が大きいということです。
    頭部の骨格を変化させる最大の要因は、歯の存在だということです。

    また、中年以降では、程度によりますが口吻部 ( 口もと ) が後退し過ぎると
    老けた印象になります。
 
ロズリン:歯を健康に保つことは、若々しい印象を保つためにも重要なことなんですね。



宮永:そうですね。
    歯を失うこと、また外からの力が加わることで骨は簡単に形が変わります。

    頬杖をつく、横向きで寝るくせのある人は、下側に頭の重みがかかることに
    なりますし、多くの人は食べるとき無意識に左右どちらかの側だけで噛んで
    います。

    こうしたことがわずかずつでも長い期間に骨格のゆがみの原因を作って
    しまうのです。
 
ロズリン:日頃から、“無意識の力”を意識して生活すべきだと。
 
宮永:古代エジプトの女王ネフェルティティの頭像は、美しい横顔で有名ですが、
    同時に “ 頭蓋変工 ” を施した、後方に長い頭部が特徴です。 
 
    頭が長いのは単に冠り物のフォルムだと思ったら違います!

    古代エジプトのみならず、頭蓋に圧力を加えて変形させる風習が、世界中
    に時空を超えて見られます。 興味深いことだと思います。
 
 
宇宙時代と人体のかたち
 
ロズリン:絵は今もお描きになっていますか。

宮永:スケッチやクロッキーはしますが、絵の具を溶いてはいませんね…
    他にすること、したいことが多くて、なかなか手が回りません。

    今は論述の仕事のほうが多くなっています。
 
ロズリン:お仕事以外のご趣味などは?

 
 宮永:家の近所を散歩して留鳥を見たり、
     川のカモとか渡り鳥を見たりするのが
     好きですね。

     あとは本を読んだり、音楽を聴いたり…。

     音楽は、やっぱりクラシックが一番。
     日常のストレスを忘れられるし、癒され
     ます。

     あと、矢野顕子が昔から好きなので
     コンサートには毎年必ず出かけますよ。
 

ロズリン:最近の研究テーマは?

宮永:この先、未来の人体はどうなっていくのか、ということです。

    1960年頃から人類が宇宙に出て行くようになり、日本でも独自の有人宇宙
    飛行の構想が出てきました。
  
    無重力状態がどのように人体に影響を与えるか、それも長期間の滞在、
    あるいは定住した場合は…?
 
ロズリン:宇宙空間では、骨と歯は弱くもろくなることが、NASAの研究で分かって
       いるんですよ。
 
宮永:そうですね。

    これまで人類が獲得してきた環境への順応や適応能力が、宇宙に出たら
    どう変化していくのか、その骨格的な変化も含め我々人類の未来の姿と
    文化を想像する、壮大なテーマです!



<インタビュー感想>
 今回は 「 こんな面白い本がありますよ! 」 と、宮永さんの著書
  『 美女の骨格 −名画に隠された秘密− 』 ( 青春出版社 ) をスタッフが
  持ってきてくれたことがきっかけで、インタビューが実現しました。

  骨格を知ることが 「 あらゆる造形活動の出発点になる 」 という考え方は、
  お話を聞けばなるほどです。

  骨格に精通すれば、偉大な画家達の当時の思考にまで通じることができる
  なんて! 非常に興味深いメソッドですよね。

  今回は “ 解剖 ” や 体の外側 だけでなく、その 内部構造 についても共通
  のお話として、楽しく時間を忘れておしゃべりしてしまいました。

  皆さんもぜひ宮永さんのこの本を、一度お読みください!