株式会社ロータスサプライ 社長
中西 芳子 さん を お招きした前編です。





10代のころから家計を支えるために働き、30代で、栄養補助食品や化粧品販売
を行なう 株式会社ロータスサプライ を立ち上げた中西芳子さん。

60歳を迎えてからは、歌、水彩画、フラダンス、ヨガにチャレンジ。
80歳を超えてなお、仕事に趣味にお友だちとのお付き合いに、毎日をイキイキと
過ごしていらっしゃいます。

インタビューは、中西さんのお住まいである六本木のマンションで行われました。

 
 
横浜は、若き日の思い出の場所
 
ロズリン:六本木にお住まいなんですね。都会のど真ん中、すてきですね!
 
中 西 :ありがとう。でも、もうじき引っ越すんですよ、世田谷の娘夫婦の近くに。
      あなたはどちらにお住まい?
 
ロズリン:私は横浜です。
 
中 西 :あら! 横浜は、思い出のあるところなの。
      戦後間もない、まだハタチくらいのときに、江商という総合商社の横浜の
      OSS Gosho というところに勤めていたことがあるんです。
 
      進駐軍など外国人向けの店でね。私は食料品全般を担当。
      まだ輸入食品は珍しかったから、見ているだけで楽しかったわね。

  

      売れ残った半端な布切れをもらって、スカートを縫ったりもしたわ。
      戦争が終わって、モンペはかなくてもよくなったのが嬉しくて! 
 
      でも、あんまり派手な格好すると、アメリカ兵がウロウロしているから
      危ないって、男性社員が私たち女性社員を桜木町の駅まで送って
      くれるの。うふふ。 横浜というと、そんな時代を思い出すわね。
 
 

食べていくために、必死だった
 
ロズリン:女学校を出られてすぐ、その会社にお勤めを?
 
中 西 :いいえ。 戦後のドタバタの時代だったから、いろんなことやったわよ。

  

      私の父はアメリカで今でいうスーパーマーケットやデパート等、
      大きなビジネス展開をしていたのだけど、子どもの具合が悪いからって
      帰国したら、アメリカに帰り損なって。

      あのころは仕事をしていないと、軍需工場に強制的に駆り出されたの。
      でも、力仕事なんてしたことなかった人だから、体を壊してしまってね。
 
      終戦当時、私は女学校を出たての15歳。
      本当は上の大学に行きたかったけどとても無理。そしてあたり一面焼野原。
      父は寝ついているし、私が家族を食べさせていかなきゃいけない。

      食べるものが何にもないから、道ばたにちょっとでも土があれば、何でも
      いいから種まいて植えて、食べられるものはみな食べた。

 

      さつまいものつる、かぼちゃの葉っぱなんて、ごちそうですよ!
      みんな背中とおなかの皮がくっつくくらいやせていました。
 
      そうそう、埼玉の川越まで買い出しに行ったりもしたわね。
      母の着物を、おいもなんかと交換してもらうのよ。
 
      その後、とにかく収入を得ようと、出版社に勤めたの。
      何度めかの転職で、OSS Gosho に。 食べていくために、必死でしたよ。
 
ロズリン:大変な経験をされたんですね。

  

中 西 :ときたま大きな缶詰のクリームチーズが手に入った。
      すばらしいタンパク源で、大事に大事に食べたものよ。

      そうしたら、栄養失調からくる皮膚病で苦しんでいた妹たちの肌が
      みるみる治って。
 
      後年、私が栄養補助食品を扱うようになった原点は、この経験にあると思うわ。
      栄養というものがどんなに人間に必要か、身にしみたから。




アメリカのビジネスを学んで独立
 
ロズリン:いまの会社を立ち上げたのは?
 
中 西 :アメリカのタッパーウェア社が日本に進出するときに、
      人から紹介されて入社したの。

      そこでアメリカのビジネスのいいところも悪いところも全部学んだ。
      なかでもパーティ方式という販売手法を覚えたのが、非常に役立ちました。

 

      白系ロシアの女の子をアシスタントにして、芦屋の奥さま方のところを
      一軒一軒回ったの。
 
      当時、密閉容器は珍しかったし、そのあたりの奥様方はみんなお金持ち
      だったのね。 ひとつパーティをやってもらうと、十何万円も売れました。
 
      その業績が買われて、アメリカのサプリメントを扱っている会社から声が
      かかったの。
      結局、その仕事で独立することを考え始めたの。まだ30代だったんです。
 
 




 女の人が活躍できる場をつくりたい
 
 ロズリン:あの当時は独立なんて、すごいですね!




 中 西 :いつまでもサラリーマンだと限界があるな、って思っていたの。
       
       いまの人には想像もつかないでしょうけど、当時、女性はお勤めしても、
       お掃除やお茶くみ、タバコ買ってきてって使いっぱしり。
       そういう雑用ばかりだったの。ちゃんとした仕事はくれないの。

       電話がかかってきても、 「 なんだ、女の子か。男の人に代わってくれ 」
       と言われるの。
 
       私、それが悔しくて、盗んででも仕事を覚えようと思って努力したんです。

       英文タイプも早く正確に打つようにしたり、英語も多少はできないとダメ
       だと思って勉強したり。
       そうしたら、私のところにどんどん仕事がきちゃってね。 みんなが帰っ
       ても私だけ残業するはめになっちゃったの。
 
       それでもお給料はいっしょでしょ。
       それはおかしいと思って、上の人に文句を言ったら、もっともだと言われて
       特別にお金をもらえたの。

  

       あのころで5万円だったか、大金だったわよ。
 
       何でもせいいっぱいやれば、道が開けるものね。
       そんな経験もあったから、女だから男だからっていうのがない世の中
       になればいいなと思っていたの。
 
       それで、私自身が会社を作って、女の人がどんどん活躍できるように
       したいと思ったのも、会社を立ち上げた理由のひとつね。
 
 
 インタビューは後編へと続きます!お楽しみに