株式会社パックスクリエイション 
  代表 藤村 育三 さん を迎えての
  インタビュー前編です。
 
 

ア-ティストとして創作活動をしながら、グラフィックデザインやア-トディレクション、
店のプロデュースなど幅広い仕事を手がけ、環境のNPO法人「ビューティフル
オーシャン」の理事や、パプアニューギニア観光局のサ-フィン観光大使としても
活動する多忙な藤村さん。
忙しいはずなのに、ゆったりとしたムードで人をなごませます。山あり谷ありの魅力
あふれるお話を伺いました。

◆藤村さんのWEBサイト http://www.fujimuraikuzo.com/ 


会社をクビになった夏、全国サーフィン行脚へ
 
ロズリン:お久しぶりです。 育三さんは、以前、アパガードの初めてのWEBサイト
      を作ってくださったんですよね。
 
      10年以上も前ですが、斬新で最高に素敵なサイトを作っていただき、
      何と最初の1カ月で100万ヒットを記録しました。
 
藤 村 :当時としては画期的な技術で作りましたからね。
 

ロズリン:
最近はどんなお仕事をされていますか?
 
藤 村 :グラフィックデザインやパッケージデザインをメインに写真撮影や、
      映像が多いです。
 
      ユニークなところでいうと、昨年はハウステンボスのパレードの一つを
      手がけたり、相撲部屋のまわしをデザインしたり。お店のプロデュースや
      家具のデザインもしています。


 
             ハウステンボスのパレード原画と実際の写真


      オーダーを受けたカヌーのデザイン

ロズリン:相変わらず幅広くお仕事していますね。
      育三さんは芸術家ですが、小さい頃に絵を習ったんですか?
 
藤 村 :いや。 絵は大学にはいるまで自己流ですね。
      僕は北海道の田舎町の出身で、子供の頃から絵を描くことと物を作ること、
      そして体を動かすのが好きで、勉強は、ほとんどしなかったです(笑)。
 
ロズリン:サーフィンが趣味ですが、北海道でもできるの?
 
藤 村 :いえ、北海道ではウィンタースポーツがメイン。
      サーフィンは大学で上京してから始めました。逆にこっちではウィンター
      スポーツができないから。
 



ロズリン:東京の大学では、美術を学んだんですか?  

藤 村 :はい。 美大では絵画を中心に造形/美術に関する心理学や歴史
      なども学びました。


ロズリン:
だったら、就職が大変でしたでしょう。

藤 村 :ただでさえ僕の年代は、第2時ベビーブーマーで、大学も就職も
      すべてが競争で大変でした。

      でも実は僕、大手のゲームメーカー、電気メーカー、新聞社と3つ受けて
      みんな受かったんです。

ロズリン:あら、すごいじゃないですか。

藤 村 :一番、働く環境がよさそうだったゲームメーカーに就職を決めて、
      ゲームの開発を担当しました。

      当時、家にパソコンなんてなく、さわったこともほとんどなかったのですが、
      面接でうっかり結構できるようなことをいってしまって ( 笑 )。

      最初の研修では電源の入れ方もわからなくて困りましたが、2週間徹夜して、
      何とか必要なレベルにはすぐなりました。



      プレイステーション用のメタルギアというゲームの開発に関わって
      最高に楽しかったのですが、1年半ぐらいでそこをやめました。


ロズリン:転職ですか?   

藤 村 :実はクビになったんです。
      ゲームの開発が終わり、会社員生活に慣れてきて、ずっと勤めようと
      思っていたのに、社長に呼び出され 「 お願いだからやめてくれ 」 と ( 笑 )。

ロズリン:どうしてですか? 




藤 村 :今、考えると、楽しくやりすぎて態度が悪かったのかもしれません。
      若かったですからね。

      自主退職するかわりに、3カ月分の給料を退職金がわりにもらいました。
      季節はちょうど 「 ゴールデンサマータイム 」 !しばらくサーフィンを楽しもうと
      決めました。


ロズリン:
仕事を探すことは考えなかった?

藤 村 :実は開発したゲームがすごく有名なものだったのと、英語ができたので、
      やめた途端、外資系のゲーム会社などから誘いがきたんですよ。 
   
      でもあの頃の自分は若くバカでしたから ( 笑 )、2カ月以上先のことが
      考えられなくて。
      せっかく会社から解放されて、しかも3カ月分の給料が手もとにあるのに、
      何で働かなきゃいけないの?と。

      すべての誘いをことわり、3万円で購入した愛車で、全国あちこちの海で
      サーフィンを楽しみました。


         サーフィンを楽しむ、藤村さん

      寝泊まりは車。やめた会社の同期が全国にいたので訪ね歩き、腹がへると
      おごってもらいました。


ロズリン:育三さんらしいですね ( 笑 )。 次の仕事はいつから探し始めたんですか?

藤 村 :9月の3週目に入るころにはお金がなくなり、来月の家賃が払えない状況に。

      どうしようかと一人バーで飲んでいたら、ちょうど隣の席にいたアメリカ人と
      意気投合し、僕が無職だとわかると 「 うちのバーで店長やらない? 」 
      「 いいよ! 」 と。 ほんの数分で決まりました。


ロズリン:
大胆ですね。そのバーはどこにあったんですか。

藤 村 :道玄坂の角にあった古いビルで、マットとグレッグという二人が経営していました。

      その頃、僕がそれまで住んでたアパートが取り壊されることになり、彼らの家に
      居候もさせてもらうことになったんです。

       彼らにはとても恩を感じていたので、一生懸命働きお店の規模を広げ、最初は
      ビルの2階部分だけだったバーを、最後には2階から5階まで拡大しました。
 
 

昼はデザイン、夜はバーの店長、寝るひまなく働いた
 
ロズリン:がんばりましたね。
      バーは夜の仕事だと思いますが、昼はどう過ごしていたのですか?
 
藤 村 :デザインの仕事ですね。
      僕は学生の頃から、イラストレーターとしてジャパンタイムスの表紙など、
      いろいろ仕事をしてたんですよ。
 
      デザインやイラスト写真撮影の仕事も結構増えていたので、昼はクリエイティブ
      ワーク、夜はバーの店長と、ほとんど寝ないでやってました。

      20代は、365日パーティー状態でしたね。
 

ロズリン:
個展もしていましたよね。 私も2回くらい見ています。
 
藤 村 :結構やってましたね。
      最初は普通のギャラリ-を借りてやってみたんですが、高いのにあまりにも
      非効率的で。日本になぜ若いア-ティストが育たないかよくわかりましたよ。
 
      銀座などのギャラリーは、高いお金をとるけど何のプロモーションもしてくれない。
      平日は18時半ぐらいに終わり、土日は休み。
 
      これじゃ意味ないですよ。会社員をしている友人たちも全くよべない。
 
ロズリン:そうなんですか。なんかひどい話ですね。





藤 村 :だから僕自身、ア-ティストにやさしいギャラリーを作ろうと、バーのある
      ビルの最上階にギャラリーカフェを開きました。

      安い料金だけど、プロモーションもお手伝いする。
      その頃、バーでいろいろな人脈ができたので、幅広い層に宣伝しました。
 
      夜や土日も営業し、ア-ティストもお客さんも居心地がいいようなゆったりした
      空間のギャラリーカフェにしました。

  
  
                   藤村さんの作品


ロズリン:いいアイデアですね。うまくいったでしょう?

藤 村 :僕自身もそこでよく個展をしましたが、週末は常にオープニングパーティーにして、
      毎週違うア-ティストの個展をやりました。

      すぐに評判になり、いつのまにかすごい先までブッキングが埋まるように
      なってきました。



      僕にとっても、若いアーティストにとっても、理想的なスペースだったと思います。
      だからビルがとり壊されることになった時、そのギャラリーを閉じることが、自分に
      とって痛かったです。

 ロズリン:それは残念でしたね。当時もう生活は大丈夫だったんですか?

藤 村 :恩義を感じて店を拡大したので、マットたちが僕を共同経営者にしてくれたんです。
      いつまでも居候というわけにもいかず、部屋も自分で借りるようになっていました。

      お店を閉めるまで約5年、すごく楽しかったですし、その頃にはデザインの仕事
      だけで生活できるようになり、彼らには本当に感謝ですね。

  


    後編では、パプアニューギニアでの
    サーフィンキッズプログラムについても伺います!
    お楽しみに