私が宝塚歌劇団のファンだということは、このブログでも何回か書いたことがあると思います。今私の住んでいる名古屋にある松坂屋美術館というところで、宝塚歌劇団創設100周年を記念して、この歌劇団の歴史を画像や映像などで振り返る催しが開催されているので、行ってきました。:hahaha:

 私が宝塚歌劇を好きになったのは、30歳を過ぎてからでしたが、その頃は、宝塚を知るために、いろんな「宝塚本」を買って勉強しました。舞台から前面に張り出していて、その後ろにオーケストラ席がある細長いステージが「銀橋」であり、ショーや芝居の終わりに劇団員たちが上から降りてくる階段が「大階段」であり、フィナーレの時に劇団員たちが持って振る飾りが「ポンポン」であるなどという、宝塚専門用語を覚えたのもそういう本によってでした。:wink:
 
 劇団員たちのことを写真付きで解説している『宝塚おとめ』という雑誌が毎年刊行されていて、私も時々は買って読みます。:**:


 
 宝塚の女優たちは、「宝塚音楽学校」で2年間教育を受けてから、宝塚の舞台に立つのですが、その時にあの「黒木瞳」「天海祐希」などの芸名をそれぞれ付けます。歌劇団の初期の頃は、小倉百人一首に収められた和歌にちなんだ「小夜福子」「雲井浪子」のような芸名がつけられていたのですが、それ以降は自分でつけることになっているようです。:)
 
 宝塚独特の芸名が選ばれることが多いので、どうしてそんな芸名にしたのか気になるところなのですが、私が読んでいた頃の『宝塚おとめ』では、大抵の場合「尊敬する方につけていただきました」という説明だけでした。
 
 ただ、誰が考えたのであれ、やはりそれなりに何らかの理由があるはずです。「黒木瞳」であれば、彼女が福岡県の「黒木町」というところの出身だったことが関係しているのだと推測できますし、多分それで問題はないのではないかと思います。:roll:
 
 だとすると「尊敬する人に〜」などというほとんど何の情報も与えない説明よりは、ちょっとだけでもいいから、芸名選択の理由を想像させるヒントを教えてほしいものです。それだけでも、宝塚歌劇に対する関心がさらに高まろうというものです。8-)
 
 宝塚の衣装




 いずれにしても、今回の催しでは、知識としてはある程度持っていた宝塚の歴史を、画像や映像とともに知ることができて、大いに勉強になりました。これから宝塚の演劇を鑑賞する上でも、参考になるだろうと思っています。
 
 

 さて、これで私のブログは最後になります。東大言語学科の同窓会で、先輩たちから名前を聞いてはいたロズリン・ヘイマンさんに頼まれて軽い気持ちで引き受けたのですが、思いがけず4年も続けてしまいました。:-o
 
 お読みになってくださっていた方が、もし少しでもいらっしゃるのだとしたら、まことに有難い限りです。皆様の今後とものご健勝とご発展を心よりお祈りします。どうもありがとうございました。:-P





 最近缶コーヒーのテレビコマーシャルや駅の宣伝ポスターで、山田孝之の画像をよく見かけます。恐らくそれまではそれほど有名な俳優ではなかったのではないかと思うのですが、私は少し前のテレビ連続ドラマ「勇者ヨシヒコと魔王の城」「勇者ヨシヒコと魔王の鍵」を楽しんで見ていて、そのドラマに山田孝之が主演していたので、この俳優のことはそれなりによく知っていました。:-P
 
 目鼻立ちははっきりしていますが、背が高いわけでもないし、スタイルがいいわけでもないのに、どこか興味を引く演技をするところが気に入っています。「勇者ヨシヒコ」と同様の深夜ドラマ「闇金ウシジマくん」では、闇金会社の社長を演じていましたが、やはり内部に何かがあるけれども、それがどうしても明らかにならない不思議な人物をうまく演じていたと思います。:-D
 
 その山田孝之が、今回初めて舞台、それもミュージカルに挑戦するというので、行ってきました。「フル・モンティ」という少し前のイギリス映画をもとにしたブロードウェーのミュージカルを日本で演じたものです。:!!:



 ミュージカルなので当然歌ったり踊ったりをするわけで、一緒に出演していた劇団四季などの俳優さんたちは、さすがに歌も踊りも達者でした。ただ山田孝之は、もちろん相当に練習をしたのでしょうが、さすがに彼ら彼女らのようなミュージカルの専門家たちには遠く及ばないかなという感じでした。
 

会場に飾ってあったお祝いの花




 さてこの舞台のタイトルの「フル・モンティ」ですが、ここでは「全裸になる」という意味で使われています。工場を解雇された男の労働者たちが、お金を稼ぐためにストリップショーを開催するという筋なので、そういう意味なのだろうと推測はつきます。:mrgreen:
 
 ただ「フル(full)」が「全部」という意味を表すのは分かるのですが、「モンティ(monty)」が分かりません。普通の英語の辞書を調べて見ると the full monty で「ひとそろい、全部」という意味だと説明してあるだけで、monty が一体何なのかは分かりません。:roll:
 
 英語の語源辞書にはこの単語は載っていませんでした。ネットで調べて見たら、どうもthe full monty 全体がイギリス北部で使われている俗語のようで、意味は辞書にあるのと同じような、必要なもの一式というものでした。
 
 結局 monty という単語だけが何を意味するのか、これがどんな言葉に由来するのかは分かりませんでした。私が小学生の頃に放映されていた「モンティ・パイソン」という、イギリスの喜劇役者たちが演じるコメディーに「モンティ」がありますが、同じイギリスであっても、二つの「モンティ」に関係があるということは確かめられませんでした。
 
 いずれにしても「フル・モンティ」という1997年に作られた映画が成功を収めたおかげで、このイギリスの俗語がアメリカにも伝わり、世界中で使われるようになったわけです。私たちが実際にこの言葉をどこかで使うということは、多分ないでしょうが、覚えておいて損はないかもしれません。:wink:



この日は大雪でした。交通情報を係の人が白板に書いていました。




 最近は自転車が人間にぶつかって怪我をさせたり、最悪の場合には死亡させたりという事故が増加しているようです。ニュースでも、悪質な乗り方をしていて死亡事故を起こした人に、巨額の賠償が命ぜられたというような報道が時々見られるようになりました。:roll:
 
 私が教えていた女子学生も、自転車でおばあさんにぶつかって骨折させたということがありました。今だったらかなりの賠償金を請求されるかもしれませんが、十数年も前のことで、その時は特に問題にならなかったようです。
 
 私自身も、坂道から歩道に出たら、右側から走ってきた若者の自転車にぶつかり、転んだことがあります。その時は怪我をすることもなかったし、その若者が自分の大学の学生だったこともあって、何もしないまま行かせてやりました。
 
 私は、小学生の頃はよく自転車を乗り回していたのですが、中学になって電車通学を始めてからは、ほとんど自転車に乗ることもなくなりました。大学にも電車で通いましたし、買い物などにも歩いて行けばそれですんだので、自転車を使うことはありませんでした。
 
 札幌に住んでいた頃は、宿舎から大学まで2キロくらいあったので、ほんのわずかの間自転車に乗って通っていたのですが、鍵をかけないで置いておいたら盗まれてしまったので、それからはまた自転車に乗らなくなりました。そもそも札幌は雪がたくさん積もるので、冬は自転車に乗れません。:*o*:
 
 今は、大学まで歩いて5分のところに住んでいるので、自転車に乗りたいとは全く思いません。自宅の周囲にあるアパートには、私の大学の学生がたくさん住んでいて、その学生たちも自転車に乗る必要などはないと思うのですが、どういうわけかほんの短い距離でも自転車を使う学生が大勢います。8-|



 乗っていたら事故を起こす可能性もないわけではありませんし、大学の周囲には時々警官がやってきて、若者と見ると、乗っている自転車が盗まれたものではないかと調べられることもよくあるので、自転車なんかには乗らない方が安心できるはずです。それなのに、歩くよりも早く着くからという理由で自転車に乗るなどというのは、どうも理解できません。



 さて「自転車」という言葉ですが、文字通りに解釈すると「自動的に回転する車両」ということになります。しかし、この車両は人間が物理的な力を加えなければ車輪が回転することはないのですから、現実とは違います。「自動車」ならば、人間ではなくてエンジンの力で動くのですから、この車両のしくみを正しく表しています。
 
 「原動機付自転車」だと、モーターが車輪を回転させるしくみになっているのですから、これこそ「自転車」という名前にふさわしい車両だと言えます。
 
 英語で自転車bicycle で、これは「二輪車」という意味です。こちらであれば、自動的に動くという意味はないので、「自転車」よりはましです。ただこの言葉だと、モーターで動く二輪車である原付オートバイとの区別はつきません。
 
 というわけで、「自転車」という名称は、私としては不満ですが、これからも使い続けるしかないのだろうと思います。:hahaha:

 有馬温泉に行きました。兵庫県にあるこの温泉は有名なので、私も名前だけは以前から知っていました。北海道にいる友人が、神戸あたりに出張があるとよくこの有馬温泉につかってくると話をしていたので、私も一度行きたいとは思っていました。:-D
 
 今回、大阪にある家内の実家を訪ねた折に、家内の姉夫婦が車で連れて行ってくれて、ようやくこの温泉に行く機会ができました。:**:
 
 大阪からは、鉄道だと神戸三宮まで行って、そこから神戸電鉄の路線を乗り継いで行かなければならないので、有馬温泉まで1時間半くらいはかかります。これが車だと、最近近くまで高速道路が通じたとかで、30分くらいしかかかりませんでした。:mrgreen:



神戸電鉄有馬温泉駅







 有馬温泉の「有馬グランドホテル」というホテルに、日帰り温泉の施設があり、追加の料金を払うと、プールなどの施設も使うことができます。プールのある部分は水着を着て男女が使用できるので、家族で行く時には便利です。:-P
 
 このホテルは、有馬温泉の駅から急な坂を上った高台にありました。有馬温泉全体が、山の上に発展した温泉地のようで、どこに行くにも坂を上り下りしなければならず、道も狭くて、車が通行するには少し不便な感じがしました。
 とは言え、日本有数の温泉街だけあって、旅館の構えはどれも立派で、ここに滞在するのは結構な贅沢なんだろうなと思います。:wink:



有馬温泉の源泉




 「有馬」という地名がには無関係だろうということは想像がつきます。そこでこの地名の語源を調べてみたのですが、やっぱりどうも分からないようです。昔は「」のことを「あり」と言っていたとか、アイヌ語で「むき出しになる」という意味を表す「アリ」と関係があるなどという説が紹介されていますが、多分正しい語源ではないのだろうと思います。:roll:
 
 有馬温泉神戸市にありますが、神戸市に隣接して「三田市」という市があります。「三田」と書けば、慶応大学のある「みた」を思い出しますが、兵庫県にある「三田」は「さんだ」と読みます。
 
 どうして「さんだ」という読み方をするのだろうと昔から不思議に思っていました。調べてみたところ、昔は「松山」という地名だったところを、藤原鎌足の長男が建立した「金心寺」というお寺が、「敬田」「恩田」「悲田」という仏教の教えをもとに、周辺の地域を「三田」と呼ぶように改めたということでした。
 
 ただ、これらの言葉の読み方は「けいでん」「おんでん」「ひでん」なので、だとすると「さんだ」ではなくて「さんでん」と読む方がよかったような気もします。まあ、ここで使われている「」というのは、人を敬ったり、恩義を感じたり、困っている人を助けたりすることで得られる「恩恵」のことを意味しているのだそうですから、日常的によく使われる「」という読み方を当てたのだとしても、それほど不思議はありません。
 
 今回の有馬温泉は、日帰り温泉をちょっと利用しただけだったので、やはり物足りない気がします。次に行く時は、旅館に宿泊してゆっくり温泉を楽しみたいと思っています。:wink:





 昨年末に実家に帰る時に、博多駅に寄りました。いつもは、新幹線口がある方の出口しか見ることはなかったのですが、今回反対側の出口の近くにある店に行ってから、その出口を通ってみたら、結構華やかなイルミネーションで装飾されているのを見つけました。:-D
 
 私の住んでいる名古屋の玄関口名古屋駅も、毎年年末にはイルミネーションが輝いていたのですが、3年前の大震災後は自粛しているようで、装飾があるのも忘れていました。それだけに、今回発見した博多駅のイルミネーションは、規模はそれほど大きくはありませんでしたが、ずいぶんと豪華に見えました。:**:




 博多駅は、九州新幹線の開業後、大規模な改装も行われて、見違えるように綺麗になりました。今回は年末だということもあって、非常にたくさんの人で賑わっていました。私が子供の頃の博多駅は、駅舎はそれなりに大きかったのですが、訪れる人は今より遙かに少なかったので、現在の博多駅周辺の発展にはいつも驚かされます。:hahaha:





 私の実家は、博多駅のある福岡市のすぐ南にある太宰府市にあります。太宰府は、すでに7世紀に地方政庁が置かれた町で、長い歴史があります。博多も、太宰府に通じる港町として同じくらい古くから発展してきた町で、中世には日宋貿易で栄えました。:**:
 
 一昨年の大河ドラマでは、平清盛が中国との貿易の拠点とした場所として博多が登場していました。今年の大河ドラマ「軍師官兵衛」でも、主人公の黒田官兵衛が、博多の西隣の福岡に城を築くことになりますから、また博多の町も話題になることでしょう。:**:
 
 博多駅は、福岡市の博多区というところにあります。福岡という名称も、知られていないわけではないのですが、やはり全国的には「博多」という名前の方が知られています。歴史も博多の方が古いわけですから、市名としては博多を選んだ方が、今から考えるとよかったような気もします。
 
 ただ、福岡の方が武士の町として行政の中心だったわけですから、やはり名称の選定についても行政の力が働いたということなのでしょう。

  「博多」という表記については、おめでたい意味を表す漢字を選んで並べただけのことだろうと思います。「はかた」という地名の語源はよく分からないようですが、調べて見たら、鳥の羽の形を意味する「羽形」あるいは「羽片」に由来するという説も紹介されていました。:idea:

  博多の町は、地図を見てみると、確かに鳥が羽を広げたような形をしているように見えます。昔の人たちも、博多のそういう地形のことを承知していて「はかた」という名前をこの地に与えたのかもしれません。:heart:
 
 津久井智子さんという知り合いがいて、彼女は消しゴムの表面を彫って、それを版画のように紙に押しつけてイラストや絵を描くことを仕事にしています。彼女はその技法を「消しゴムはんこ」と呼んでいます。:**:
 
 消しゴムに彫刻刀で画像を彫りつけて、その印影を紙の上に表す技法は、多分以前からあったはずです。私は絵が下手なので、そういうことをやろうと思ったことはありませんが、絵のうまい子供であれば、消しゴムに絵を描いたり彫ったりすることはあるでしょう。彫った絵にインクをつけて紙の上に押しつけるようなことも、あったはずです。:wink:
 
 しかし、その技法を芸術の域にまで高からしめたのは、彼女の功績だと思います。その彼女に注目して、消しゴムはんこの本を最初に出版するように手配したのが私の家内だったということで、先日彼女の活動の10周年を記念するイベントに行ってきました。:heart:
 
 麻布で行われたそのイベントの会場には、消しゴムはんこで作成した彼女の作品が展示してありました。消しゴム1個の大きさだと小さいイラストしかできませんが、彼女の技術も進歩して、最近では比較的大きなゴム版に画像を彫って、大きな紙の上に印刷するようにもなっているようで、襖絵か屏風絵のような大作も飾ってありました。:-P




 何色もの色が出るように、重ね刷りをしているのだそうで、とても消しゴムを押して描いたとは思えない、華やかな図柄が実現されていました。:**:




 どこかのカルチャーセンターで技法を教えているということで、そこの教室に出席している人たちも来ていました。私のような絵心のない人間にはとても無理ですが、消しゴムはんこによる美しい作品を作る人がこれからも出てくればいいなと思いました。:oops:




 「消しゴム」という言葉が日本で使われるようになったのは、西洋からこの製品が入ってきた明治以降です。鉛筆で書いた字をゴムで消すのですから、「消す」と「ゴム」を組み合わせて「消しゴム」あるいは「ゴム消し」という複合語が作られたと考えて、問題はないでしょう。:-D
 英語で消しゴムのことを eraser と呼ぶというのは、中学で教わります。ただこの言葉だけであれば「消すもの」という意味を表すだけで、ゴム製のものだということは分かりません。実際、黒板にチョークで書いた字を消すための道具も eraser といいます。
 辞書で調べて見たら、イギリスでは消しゴムのことを rubber というのだそうです。これは「ゴム」という意味を表す言葉ですから、字を消すための道具だということは分かりません。:roll:
 
 フランス語では、消しゴムのことは gomme à effacer と言い、これは「消すためのゴム」という意味です。だとすると日本語と同じなのですが、普通は gomme<ゴム>と言い、これだとイギリスと同じです。
 
 ドイツ語を調べてみると、消しゴムは Radiergummi と言い、まさに日本語の「消しゴム」と同じです。とは言え、フランス語やイギリスの英語と同じように Gummi<ゴム>だけでも消しゴムという意味を表すことができるのだそうです。:idea:
 
 日本語では「ゴム」と言えば材料を意味するだけで、字を消すためのゴムだけを表すということはありません。欧米にもゴム製品はたくさんの種類があるはずなのに、どうして「ゴム」だけで消しゴムを意味することができるようになったのか、不思議なところです。:hahaha:


 今月の初め、学会に出席するために仙台に行きました。名古屋に住んでいると、実家の福岡に行くためにも新幹線を利用するので、飛行機に乗ることはあまりありません。ただ、仙台に行くためには、一度東京駅で東北新幹線に乗り換えなければならず、東海道新幹線と違って東北新幹線は本数が少なく、結局かなりの時間がかかってしまうので、今回は飛行機で行きました。:-D
 
 飛行機だと、搭乗時間は1時間ちょっとですみます。ただ、名古屋も仙台も、空港に着くまでにどうしても1時間かそれ以上はかかってしまうので、全体で3時間半くらいは必要です。それでも、新幹線で行くよりは、1時間くらいは早く着きます。:mrgreen:


                                                      到着直後の仙台空港ロビー


 仙台には、震災後の一昨年にも行きました。その時も、地震の被害が目に見える形で残っているということはありませんでした。震災後2年半経った今回は、少なくとも仙台駅付近と東北大学のあたりは、地震があったことを思わせる様子は全くありませんでした。
 
 東北とは言っても、仙台がそれほど寒い土地ではないことは知っていたのですが、やはり東京や名古屋よりはいくらかは気温が低いので、用心して厚手のコートを着ていきました。:)
 
 ところが、学会の間はとても天気がよくて、寒いということも全くなく、まさに小春日和と呼べる天候でした。手袋まで買っていったのですが、それを身に着けるほどでもありませんでした。
 
 仙台は東京から新幹線で1時間半くらいの場所にあり、在来線で東京から2時間半かかる松本よりも便利です。ただ、東京と仙台の間には、栃木県と福島県があり、これらの地域の方言は、東京の方言とはかなり違います。:roll:


                                                     仙台駅近くの商店街


 松本と東京の間には、東京方言とよく似た特徴をもつ山梨県の方言があるだけなので、松本方言も東京方言と大きな違いはありません。ところが仙台の方言は、南にある福島県や栃木県の方言と類似した特徴を示します。:!!:
 
 それでも最近では、若者、特に女性は、少なくとも家の外では、いかにも仙台弁というような言葉は使っていないように思えます。以前私の研究室に所属していた仙台出身の女子学生がそうでしたし、今回仙台駅付近で耳にした若い女性たちの言葉も、やはり同じように東京方言に近く聞こえました。:-o
 
 仙台は東北地方第一の都会なので、言葉の面でも東京の影響がそれなりに強いのだろうとは思います。それでも、年配の人たちは宮城県南部の方言を使っているようですし、若者でも男性は、年配者ほどではなくても、東京方言とは違って聞こえる言葉を使っていました。
 
 東京方言を基礎にした標準語が、日本全国に普及していることは確かです。それでも、日本の各地では土地の方言が未だに力を持っていることも間違いありません。今回の仙台滞在でも、その事実を確認することができました。:**:






 

 大学の研究室の旅行で、先月松本に行きました。この町には以前親しい友人が住んでいたので、それまでにも何回か行ったことはありました。:-P
 
 今回は高速道路をバスで行ったのですが、列車だと名古屋から2時間で着くのですが、バスだとさすがに3時間半かかりました。:oops:



                               松本市内の紅葉









                    松本では「かえるまつり」も開かれます。

 昼過ぎに松本に着いた時は、とても天気がよくて、まさに小春日和と呼べる天候でした。そのせいで、観光の目玉である松本城には大勢の観光客が訪れていて、天守閣の中もひどく混雑していました。おかげで、最上階に上るまでずいぶん時間がかかってしまいました。:roll:
 
 松本城の天守閣は、築城当時の姿が残っている建物で、だからこそ国宝に指定されているのですが、階段があまりに急で、上るのにも下りるのにも苦労をします。昔の侍の中には、階段をすべり落ちて怪我をした人も結構いたのではないかと想像されます。:)
 
 階段の上り下りが楽だったら、敵に簡単に侵入されるから、わざと急な傾斜にしたのかもしれないとも思うのですが、思い出してみると、日本の古い家屋の階段は、傾斜が急なのが普通だったように思います。:idea:
 
 今のバリアフリーの家屋のように、身体の不自由な人でも安全に移動できるように配慮するなどという考えは、昔の建物には全くありませんでした。断熱などという考えもなく、冬になると室内の気温は室外と変わらないぐらいまで下がり、家の中でも厚着をしなければなりませんでした。
 
 そういう昔のことを思い出すと、現代の日本家屋もずいぶんと快適になったものです。昭和50年代に私が学生だった頃は、蛇口からお湯が出るのは、湯沸かし器がある台所ぐらいで、冬になると氷のような水で洗顔をしたりしなければなりませんでした。その当時アメリカから来た留学生は、洗面所のどこからもお湯が出ないので不思議がっていたものでした。:hahaha:
 
 松本は、東京からだと列車で2時間半くらいで、名古屋からよりも時間がかかるのですが、松本の方言は東京とあまり違いがありません。江戸から甲州街道を経て松本に行く人が多かったのでしょうか。
 
 名古屋からも、北に行けば中山道を辿って松本に行けるのですが、江戸時代の名古屋はまだそれほど大きな町でもなかったので、松本付近との交流は、それほどでもなかったのかもしれません。




                                             
                                                                                   松本城
 
 
 ただ、愛知県には「飯田街道」という名前の街道が通っていて、名古屋と長野県の飯田を結ぶ街道で、三河地方の塩を飯田地方に運ぶために使われていたのだそうです。飯田の方言は、東京よりも名古屋の方言に似ているのだそうで、人々の交流の緊密さが、方言の類似性を作り出しているのかもしれません。:!!:
 
 もっとも、江戸時代には日光と江戸の間は、日光街道で結ばれていました。日光には観光名所の東照宮があるのですから、江戸と日光の間の行き来もたくさんあったことでしょう。それなのに、日光のある栃木県の方言と東京の方言はずいぶん違います。
 
 交流が盛んだったはずなのに、どうして方言の違いがこれほど大きいのか、どうも不思議でなりません。:??



 先日名古屋駅のそばで、ちんどん屋を見かけました。今でもちんどん屋がいて、依頼に応じて店舗の宣伝などをすることがあるのは、ネットで調べて知っていたのですが、実物を見るのは本当に久しぶりでした。:mrgreen:
 
 派手な衣装を身にまとい、顔面も目立つように塗り立てて、鉦や太鼓の音を背景に、クラリネットを吹き鳴らしながら歩く一行は、確かに人々の注意を引きます。私も久しぶりに見て楽しくなりました。:hahaha:




 時間があればもっと見ていたかったのですが、新幹線に乗る必要があったので、残念ながら写真を撮っただけですぐに離れてしまいました。
 
 私が子供の頃は、パチンコ屋やスーパーが新装開店する時には、店の前をちんどん屋が練り歩く姿をよく見かけました。多分、私の住んでいた小さな町にも、ちんどん屋を家業としている人々がいたのでしょう。
 
 ただ、昭和40年代の半ばになると、もうちんどん屋を見かけることはあまりなくなりました。大学生の昭和52年頃に、板橋区の大山という町に住むようになり、そこには「大山銀座」と呼ばれる、かなり長い商店街がありました。:-D
 
 その商店街でも、引っ越してすぐぐらいには、ちんどん屋がパチンコ屋の宣伝をしているのを見かけたことがあります。今でも東京の下町では、ちんどん屋が呼ばれて楽曲を演奏することもあるのかも知れません。
 
 ちんどん屋以外でも、飛行機が商店街の上を飛んで、ビラをまき散らすという宣伝の方法があったことを覚えています。上からビラが落ちてくるのは、確かに珍しい経験なので、ちゃんと拾う人も多かったはずで、宣伝の効果はそれなりにあったのでしょう。


 
 空からビラをまく宣伝方法は、小学生の時しか見たことがありません。飛行機を借りるのにはかなりのお金がかかるし、拾われなかったビラが町を汚すことにもなるので、好まれなかったのかもしれません。:roll:
 
 「ちんどん」という言葉は、鉦の音を表す擬音語の「ちん」と、太鼓の音を表す擬音語の「どん」を組み合わせて作られたと考えて、恐らく問題はないでしょう。日本全国でこの名称が使われているのだろうと思っていたのですが、ネットで調べてみたら、関西では「東西屋」と呼ぶこともあるのだそうです。
 
 芝居で観客に対して口上を述べる時に「東西東西」と言うのを、ちんどん屋が取り入れて口上にしたということから、この名称でも呼ばれるようになったということでした。
 
 ついでですが「ビラ」という言葉は、びらびらした紙片だからそう呼ばれるようになったのだと、私は思っていました。辞典で調べてみると、確かにそういう語源説もあるようですが、「片」を意味する「ひら」に由来すると考えた方がよさそうです。:)
 
 英語で「ビラ」を意味する言葉は bill なので、「ビラ」は英語に由来する外来語だという説も聞いたことがあります。ただ、「びら」という言葉が使われている例は、すでに江戸中期からあり、この頃に英語からの外来語が取り入れられたことはないでしょうから、外来語説は正しくありません。:!:
 
 ちんどん屋は明るく楽しい日本の文化です。ちんどん屋を家業として生きていくのは大変でしょうが、何らかの形でこれからも続いていってほしいものです。:-P
 先月妻が仕事でドイツのフランクフルトに行ってきました。この町には、私も一度訪れたことがあります。ただ、それはもう30年近くも前のことで、しかも数日間だけでした。その後はすぐに列車に乗って、留学先のフランスのストラスブールという町に行きました。:-D
 
 それでも、生まれて初めて滞在した外国の町がフランクフルトだったので、この町の名前を耳にすると、とても懐かしい気持ちになります。滞在している時には、この町から、有名な大学都市のハイデルベルクにも行きました。ただ、覚えているのは、ハイデルベルク城に行ったということだけで、大学には行ってみたのかもしれませんが、忘れてしまいました。:mrgreen:

 





 留学していたストラスブールという町は、フランスとドイツの国境近くにあります。かつてはドイツ領だった時代もありましたし、伝統的にはドイツ語を話す地域でもあります。私が留学していた頃は、下宿していた大家さんの一家は皆ドイツ語を話していました。:-P
 
 フランクフルトで発行されるドイツの高級紙 Frankfurter Allgemeine を、時々は売店で買って読もうとしたりしたこともあります。ただ、ドイツ語が難しくて、内容はあまり理解できませんでした。:ase: 
 
 「フランクフルト」という地名は、「フランク人の浅瀬」という意味を表します。フランク人が、他のゲルマン民族のアレマン人と戦ったときに、今のフランクフルトを流れているマイン川の浅瀬を渡って向こう岸に行ったことから、このような名前になったのだとされています。:idea:
 





 この地名が出来たのは6世紀初めのことだそうで、まだ未開の荒野だったのでしょうから、川には橋など架かっていなかったのでしょう。だから、マイン側を渡るのに、フランク人は適当な浅瀬を探す必要があったのだと思います。
 
 ヨーロッパを流れているような大きな川に橋を架けるのは、相当に大変なことだったのだろうと想像されます。このため、橋を使って川を渡ることができる場所は、非常に限られていたようです。ローマの歴史書を読んでも、ローマ軍が浅瀬(vadum)を歩いて川を渡ったというような記述がよく出てきます。
 
 「フランクフルト」という名前の町は、ドイツに2つあります。もう1つのフランクフルトは、ドイツの東端、ポーランドとの国境にあります。この町はオーデルという名前の川に面しているので、「フランクフルト・アン・デア・オーデル」と呼ばれ、マイン川に面している方は「フランクフルト・アム・マイン」と呼ばれて区別されます。
 
 ただ、ドイツにとっても、そして世界にとっても、マイン川に面している方のフランクフルトの方が重要なのは間違いないので、「フランクフルト」と言えば、マイン川に面している方の町を指すのが普通です。
 
 この町には、ドイツを中心とするヨーロッパの書籍を取り扱う書店があって、以前はその書店に手紙を書いて、研究に必要な本をよく取り寄せていました。その宛先の住所に、Frankfurt am Mainとか、Frankfurt a.M. などと書いていたのを思い出します。:heart:
 
 ドイツには、その後行ったことがありません。町も綺麗だし、料理もおいしかったということなので、またいずれは行ってみたいと思っています。ベルリンミュンヘンハンブルクなど、ドイツには訪れてみる価値のある町はたくさんあります。:**: