大学の研究室の旅行で、先月松本に行きました。この町には以前親しい友人が住んでいたので、それまでにも何回か行ったことはありました。:-P
 
 今回は高速道路をバスで行ったのですが、列車だと名古屋から2時間で着くのですが、バスだとさすがに3時間半かかりました。:oops:



                               松本市内の紅葉









                    松本では「かえるまつり」も開かれます。

 昼過ぎに松本に着いた時は、とても天気がよくて、まさに小春日和と呼べる天候でした。そのせいで、観光の目玉である松本城には大勢の観光客が訪れていて、天守閣の中もひどく混雑していました。おかげで、最上階に上るまでずいぶん時間がかかってしまいました。:roll:
 
 松本城の天守閣は、築城当時の姿が残っている建物で、だからこそ国宝に指定されているのですが、階段があまりに急で、上るのにも下りるのにも苦労をします。昔の侍の中には、階段をすべり落ちて怪我をした人も結構いたのではないかと想像されます。:)
 
 階段の上り下りが楽だったら、敵に簡単に侵入されるから、わざと急な傾斜にしたのかもしれないとも思うのですが、思い出してみると、日本の古い家屋の階段は、傾斜が急なのが普通だったように思います。:idea:
 
 今のバリアフリーの家屋のように、身体の不自由な人でも安全に移動できるように配慮するなどという考えは、昔の建物には全くありませんでした。断熱などという考えもなく、冬になると室内の気温は室外と変わらないぐらいまで下がり、家の中でも厚着をしなければなりませんでした。
 
 そういう昔のことを思い出すと、現代の日本家屋もずいぶんと快適になったものです。昭和50年代に私が学生だった頃は、蛇口からお湯が出るのは、湯沸かし器がある台所ぐらいで、冬になると氷のような水で洗顔をしたりしなければなりませんでした。その当時アメリカから来た留学生は、洗面所のどこからもお湯が出ないので不思議がっていたものでした。:hahaha:
 
 松本は、東京からだと列車で2時間半くらいで、名古屋からよりも時間がかかるのですが、松本の方言は東京とあまり違いがありません。江戸から甲州街道を経て松本に行く人が多かったのでしょうか。
 
 名古屋からも、北に行けば中山道を辿って松本に行けるのですが、江戸時代の名古屋はまだそれほど大きな町でもなかったので、松本付近との交流は、それほどでもなかったのかもしれません。




                                             
                                                                                   松本城
 
 
 ただ、愛知県には「飯田街道」という名前の街道が通っていて、名古屋と長野県の飯田を結ぶ街道で、三河地方の塩を飯田地方に運ぶために使われていたのだそうです。飯田の方言は、東京よりも名古屋の方言に似ているのだそうで、人々の交流の緊密さが、方言の類似性を作り出しているのかもしれません。:!!:
 
 もっとも、江戸時代には日光と江戸の間は、日光街道で結ばれていました。日光には観光名所の東照宮があるのですから、江戸と日光の間の行き来もたくさんあったことでしょう。それなのに、日光のある栃木県の方言と東京の方言はずいぶん違います。
 
 交流が盛んだったはずなのに、どうして方言の違いがこれほど大きいのか、どうも不思議でなりません。:??